『ラブライブ!』6話で感じた大きな違和感

ラブライブ6話の中で大きな違和感を覚えたシーンがあった
それは終盤ほのかが階段を駆けのぼるところから、新しい曲のPVが始まるシーン。
自分はここの唐突感にとても違和感を感じました。
だってそのPVって学校をめちゃくちゃ飾り付けしてそこで歌って踊ってる半端ないクオリティのものなんだもん。PV撮影の準備の過程とかどこにいったんだ…って感じです。

  

ラブライブは物語を劇的に見せるためによくハッタリを利かせます。
そのハッタリの使い方のうまさを指摘する水音さんの記事マンガ☆ライフ |成功する流れを形成しているからこその挫折が熱い『ラブライブ』三話はとても面白い。
ただこのシーンの繋ぎの違和感はハッタリを利かせそこなったのとは別なものを感じました。


そこで、どうして準備の描写もなく唐突に新曲のPVがはじまったのか考えてみると…
「今回の話はエリーチカ先輩がみていたμ'sのPVだった」という仮説を思いつきました。

そう考えるとあの唐突さにも納得がいく気がするんだよなー
今回のはなしが編集されたPVだとすると、舞台や衣裳、撮影の準備をする場面がないことにも説明がつきます。
またμ'sメンバーが穂乃果をリーダーだと再認識した後のシーンから、急に新曲がはじまるのもPVなら構成として自然なものになります。

劇中劇をおもわせる描写

6話全体がμ'sの部活紹介PVという劇中劇なのでは…と匂わせるシーンは話のなかで3回あります。

1

前の記事でも書いた真姫の「撮らないで!」のアップからそれがカメラのモニターに映し出されてるカットに飛ぶテクニカルな時間圧縮演出*1
  
実はここで現在進行形の時間軸にもどってきたように見せかけて視聴者のミスリードを誘ってるんじゃないかという気がします。
それを示すように、このカット以降は前半で多用されていた画面に録画マークや電池残量が表示されるようなはっきりとカメラで撮っているとわかる画はでてこなくなり、撮影者である希の存在感も薄くなっていきます。

2

しかし、実はこの後にもカメラの存在が感じられるシーンがあります。それはμ'sメンバーがリーダーを決めるためにゲームセンターに行くシーン。

画面右奥でダンスゲームのやり方で悩む花陽たちがいます

そこに右上からニコ先輩がはいってきて手前にピントが合う

そしてまたニコ先輩が画面から出て行き、今度は奥で喜ぶ凛たちにピントが合います。
これがすごいPVを撮影してるっぽい。ただ実は同じカットの中で時間がぶっ飛んでるんだよね、こういうのを違和感なく入れてくるのがラブライブ演出のすごいところだと思います。

3

新曲PVが終わった後に会長がPCでそれを見てるカットに飛ぶ場面。
  
真姫のシーンと同じ入れ子構造になっています。ここは実は真姫のシーンではまだ入れ子の中で、6話は二重の入れ子構造になっていたという事をネタバレするシーンだったと思います。
ここで本当に作中の現在進行形の時間軸に戻ってきたんじゃないかな。


あ、あと書いてるときに見返して思いついたんですけど、μ'sが屋上で練習していて副会長がその様子をカメラで撮影しながらナレーションを入れるシーン。最初見たとき、なんで撮影しながらナレーションしてるんだろうと思ったけど、本編がPVだとするとあそこでナレーションを入れるのは正しくなりますね。


まとめ

僕が今回のはなしは実はエリーチカ先輩がPVを見てる話だとすると面白いと思った大きな理由は、そう考えると来週からの話にすごく「説得力」を持たせられると思うからです。
きっと来週の話ってエリーチカがアイドル研究部を助ける話ですよね。そうなったとき今回μ'sの普段の姿や練習風景を見ているとすれば、エリーチカ会長がμ'sを助けて、加入するという行動にすごく納得できます。

そう考えると6話は現μ'sメンバーの再結束を描きながら、エリーチカ先輩の加入動機の下地作りもするというウルトラCなことをやってる脚本ということになりますね。花田先生パナいっす!

  

アニメ『ラブライブ!』はマクロスシリーズのようなラブライブ世界でやっている「事実を元にしたドキュメンタリー風ドラマ」だという劇中劇説がささやかれていますが、6話に限ってはかぎりなくそういう見方が出来るとおもいます。
僕が書いたことに、どこまで正当性があるかはわかりませんが『ラブライブ!』というアニメはほんとうに色々な語り口がある作品で素晴らしいですね。

*1:この記事が素晴らしい2013-01-21